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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)13475号 判決

主文

一  被告は、原告らに対し、それぞれ金二八二九万七〇〇九円及び内金二五七九万七〇〇九円に対する昭和六二年八月二九日から、内金二五〇万円に対する平成五年六月一五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

理由

一  当事者

請求原因1は当事者間に争いがない。

二  症状及び診療経過

1  請求原因2(二)の事実中、玉井病院での血液検査の結果血清アミラーゼの値が高かつたこと、秀司が昭和六二年八月二八日午後春山病院に転院したこと、同2(三)の事実中、秀司が同日午後病室に入つたこと、同2(四)の事実、同2(六)の事実中、ナースコールがあつたこと、同2(七)の事実中、看護婦が秀司に注射したこと、同2(八)の事実中、医師らが秀司に対し治療を行つたこと、同2(九)の事実中、秀司が同日午後一時四〇分死亡したこと、病理解剖の結果、秀司の死因は急性出血性膵炎であつたことが分かつたこと、以上は当事者間に争いがない。

2  右争いがない事実に、《証拠略》を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  玉井病院

<1> 秀司は、昭和六二年八月二七日午前一〇時ころから腹痛を感じ、当夜勤務先で宿直勤務に従事していた午後一〇時ころから腹痛が強くなり我慢していたが、全身倦怠感及び脱力感を覚えたため、翌二八日午前九時ころ救急車を要請し玉井病院に搬送してもらつた。

<2> 玉井病院で診察を受けた際、体温三七・三度、血圧一五〇/九〇で、意識は鮮明であり、顔色も青くなく、肺にも問題はなかつた。診察の結果、急性腹症及び過換気症候群と診断され、セルシン一Aが施行された。

<3> 午前九時三〇分ころ、入院が決定したが、体温三八・二度、血圧一一八/九〇、脈拍九六で、呼吸数は三四で規則的であつたが、呼吸苦が認められた。意識は清明であつたが、顔色は青く、四肢に冷感があつてチアノーゼが認められ、手指は硬直し、両手にテタニー様症状があり、口が渇き、発汗や腹満が認められ、軽度の上腹部痛があつた。腹部理学的所見としてデファンス状の腹壁緊張状態があり、腸グル音も低下していた。そこで、ポタコール五〇〇ミリリットルの点滴が開始された。

<4> 午前一〇時ころ、医師の指示でガス分析が行われ、その結果はPH七・四一六、PO2九〇・一、PCO2二七・二、BE--四・八、HCO3一七・四であつた。このころには過呼吸は落ち着き、呼吸数二六で規則的であつたが、顔色は不良で、熱つぽく汗をかき、手指の硬直は依然持続しており、四肢にチアノーゼが認められた。

<5> 午前一一時一〇分ころ、医師が診察した結果、脈拍八六、呼吸数二二で、嘔気、嘔吐はなく、下肢の硬直は軽減したが、上腹部に強い痛みがあつて寒気がし、汗をかき、腹満が顕著であつた。秀司が口が渇くと言うので水を一口摂取させたところ、一回嘔吐した。

<6> 午前一一時三〇分ころ、体温三八度、血圧一二〇/八六、脈拍一〇四、呼吸数二二で、嘔気、嘔吐はないが、腹部全体に痛みがあり、秀司の希望で肋骨下部にシップを貼つた。

<7> 午後〇時五分ころ、外科医が診察し、血圧一一〇/九〇、脈拍一一六で、腹痛があつたので、スエルパン一Aを施行した。

<8> 午後一時二〇分ころ、医師付添いでレントゲン撮影をしたが、意識は清明で、汗をかき、顔面、四肢にチアノーゼ、四肢に冷感があり、痙攣及び振戦が認められた。腹部の緊張が高度でブルンベルグ症状も認められた。

<9> 午後一時三〇分ころ、普通便が多量に出たが、便潜血反応はなかつた。呼吸が苦しく、四肢に痙攣が認められ、セルシン一Aが施行された。

<10> 午後一時三二分ころ、呼吸苦及び四肢の痙攣が改善し、チアノーゼも見られなくなつた。

<11> 午後二時ころ、体温三七・九度、血圧一〇〇/七八、脈拍一〇四、呼吸数二二で不規則であつた。下肢の冷感は軽減したが、上肢には依然冷感があり、嘔気、嘔吐はないが、汗をかき、腹痛が徐々に増強し、腹満が著明であつた。

<12> 血液検査の結果は、白血球一一七〇〇/立法ミリメートル、血清アミラーゼ六一六単位、ヘマトクリット五六・六パーセント、ザーリ一七・七パーセント、GOT二九〇単位、GPT一一〇単位、LDH一三四〇単位、カリウム三・〇mEq/L、カルシウム二・一mEq/L、コレステロール五七〇ミリグラム/デシリットル、中性脂肪三七五〇ミリグラム/デシリットル、グルコース二五九ミリグラム/デシリットルであつた。

<13> 午後二時一〇分ころ、外科医が診察し、相談の結果春山病院に転院させることを決定した。

(二)  春山病院

<1> 秀司は、昭和六二年八月二八日午後三時四〇分ころ、春山病院に搬送され、被告、益子医師及び藤井医師の診察を受けた。右診察時、体温三七・九度、血圧一〇六/五〇、脈拍一二六で、意識は清明であつたが、はつきりしないところがあり、腹部は板状に硬く、筋性防護が認められ、上腹部に圧痛があつたが、圧痛点ははつきりせず、腹部の左側に帯状の疼痛はなかつた。過換気で、四肢が硬直し、指趾が屈曲して痙攣を起こし、四肢の先端はチアノーゼでワインカラー色をしていた。腹痛の訴えは少なく、呼吸苦を訴えていたが、嘔吐はなかつた。胸部・腹部X--P、エコーを施行したところ、腹部に血腫のような異常陰影が認められた。

玉井病院から送られてきた依頼書面には要旨以下のような記述があり、

被告ら医師は右書面に目を通した。

「(1)急性腹症の疑い、(2)過換気症候群

既往歴にははつきりとした胃潰瘍、十二指腸潰瘍はないが、昨夕午後一〇時、仕事中に突然上腹部痛が出現、本日(二八日)、当院に来院した。外来時に(2)が出現し、興奮状態(上腹部痛が誘因になつていると思われる。)で、両手のテタニー様症状及び下肢の筋萎縮もたびたび出現し、袋を使つて呼吸させたりセルシン一Aで小康を得ている。(1)については午後二時、白血球一一七〇〇、アミラーゼ六一六、熱は三八度台で、血圧、脈拍等は正常範囲内である。経過観察が重要と思われるが、当院では外科的フォローが困難なため、転院させた。

(緊急データ)白血球一一七〇〇、アミラーゼ六一六、ヘマトクリット五七・七、GOT二一〇、GPT一一〇、LDH一三四〇、カリウム三・〇、カルシウム二・一、コレステロール五七〇、中性脂肪三七五〇、グルコース二五九」

一〇パーセントフェノバール一Aを施行した。

藤井医師から看護婦に対して以下のような指示が出された。

飲食は禁止、点滴は<1>ヴィーンD五〇〇ミリリットル、VB五〇、B2二〇、VC五〇〇、ヴェノピリン一V、ハロスポア二グラム、<2>プラスアミノ五〇〇ミリリットル、アデラビン九号二A、タチオン一A、<3>アクチッド五〇〇ミリリットル、セルリール一A、ヴェノピリン一V、<4>ヴィーンD五〇〇ミリリットル、プリンペラン一A、ATP四〇ミリグラム、を順に施行すること、疼痛時及び三八度以上の発熱時にインダシンSUPPO五〇ミリグラムあるいは無効時にはソセアタを施行すること。

<2> 秀司は、午後四時四〇分ころ、病室に入り、その際、血圧九〇/七〇、脈拍一二〇で不整脈はなかつたが頻脈で微弱気味であつた。呼吸数三〇で規則的であつたが浅連呼吸で息苦しさがあつた。顔色は普通で、嘔気、嘔吐はなく、軽く腹が痛むが自制できる程度で、四肢にチアノーゼはなかつた。

<3> 午後五時ころ、プラスアミノ注五〇〇ミリリットル、VC五〇〇ミリグラム、VB2二〇ミリグラム、レボラーゼ五〇ミリグラム、パスポア二グラム、アデラビン九号二A、アギフトールS六〇〇ミリグラムの点滴を開始し、生理食塩水二〇ミリリットル、ヴェノピリン一Vを管注した。呼吸が苦しい時はビニール袋を口に当てるよう指示した。秀司の皮膚は少し冷たかつた。

<4> そのころ、日勤看護婦から当直の根間看護婦及び栗田看護婦に引継ぎが行われ、日勤看護婦から、秀司は、過換気症及び急性腹症の患者で、腹が少し痛むが自制できる状態であること、バイタルサインは正常であるが、呼吸が苦しいときはビニール袋を口に当てるよう指示している旨口頭で説明があつた。

午後六時ころ、被告から当直の浜田医師に引継ぎが行われ、被告から、秀司は過換気症及び急性腹症の患者で、アミラーゼが上昇し、肝機能全体に悪化があり、現在のデータでは原因不明である旨口頭で説明があり、今後吐血や下血あるいは腹痛が極めて強くなるなどの急変があれば、夜間緊急手術を施行するので連絡するよう指示された。

<5> 午後七時ないし午後八時ころ、栗田看護婦が秀司を観察した際、呼吸は荒れていたが、意識ははつきりしており、腹痛も余りなかつた。ビニール袋を口に当てるよう指示した。

<6> 午後八時三〇分ころ、浜田医師及び根間看護婦が秀司を回診した際、やや過換気であつたが、腹痛の訴えはなく、脈拍も正常であつた。

<7> 午後九時ころ、栗田看護婦が秀司を観察した際、血圧九八/七六、脈拍一二〇で不整脈はないが微弱かつ頻脈で、呼吸数三二であつた。意識もあり、腹部痛も軽減していたが、顔色が優れず、四肢が冷たくチアノーゼがあり、呼吸困難、息苦しさがあつた。栗田看護婦は、ビニール袋の使用を指示し、アクチット注五〇〇ミリリットル、ヴェノピリンV、セルリール、ヴィーンD注五〇〇ミリリットル、プリンペラン、ATP四〇ミリリットルの点滴を開始した。

<8> 午後一〇時ころ、被告が秀司の病状を聞くため看護婦に電話をしたところ、変わりがない旨の報告があつた。

<9> 翌二九日午前〇時ころ、栗田看護婦が秀司を観察した際、秀司は開眼中で、息苦しさも楽になつていた。原告富美子から、このまま様子をみるとの話があつた。

<10> 午前三時ころ、栗田看護婦が秀司を観察した際、原告富美子から、便が七、八回出た、一度は黒色の便が出たとの話があつた。呼吸困難はなく、四肢は冷たく蒼白であつたが、チアノーゼは認められなかつた。

<11> 午前三時四〇分ころ、ナースコールで栗田看護婦が病室に行つたところ、点滴台が倒れていたのでこれを起こした。秀司は開眼中で、意識は正常であつたが、体の動きがかなりあり、呼吸苦及び痛みがあつた。

<12> 午前六時三〇分ころ、栗田看護婦が体温計を配りに行つた際、秀司は落ち着いた状態にあり、特に訴えはなかつた。

<13> 午前七時ころ、秀司は、下半身が剥がれるような痛みを覚え、これ以上自制することができなくなつた。原告富美子から通報を受けた根間看護婦が秀司を観察したところ、秀司は足が痛いと訴え、冷汗、チアノーゼがあり、足はワインカラー色をしていた。根間看護婦が浜田医師に下半身が剥がれるような痛みがあり、足はワインカラー色をしている旨報告したところ、同医師からヴェノピリンの管注を指示されたので、生理食塩水及びヴェノピリンを管注した。

<14> 午前七時三〇分ころ、根間看護婦及び栗田看護婦が秀司を観察した際、頻脈で脈拍は微弱となり血圧測定が不能になつた。意識はあつたが、苦しい、苦しい、気持が悪いと訴えていた。全身にチアノーゼがあり、呼吸数が減少してきたので、浜田医師に連絡し、急遽モニターを設置したが、間もなく呼吸が停止した。

浜田医師は、緊急措置として心臓マッサージを行い、ボスミン一A×二を管注し、挿管したが、脈拍、呼吸、血圧とも測定不能となり、瞳孔が散大した。

<15> その後、藤井医師及び益子医師も加わつて様々な救命処置を講じたがその効なく、午後一時四〇分秀司の死亡が確認された。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断略》

三  秀司の死因

秀司の死因が急性出血性膵炎であることは、前記のとおり当事者間に争いがない。

なお、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

昭和六二年八月三一日午前一〇時三〇分から慶応義塾大学医学部法医学教室において行われた解剖検査の結果、膵実質及び近傍脂肪組織は一般に高度の壊死及び出血状態で、一部は融解状を呈し、膵臓の周囲には脂肪壊死巣が認められ、炎症細胞浸潤は軽度であつたこと、その他諸臓器に死因となるような病変は存在しなかつたこと、以上の結果から解剖担当の鑑定嘱託医は、秀司の死因を急性出血性膵炎であると鑑定した。

急性膵炎は、消化酵素の膵臓内での活性化とそれによる膵臓の自己消化を本能とする疾患で、重症急性膵炎では、活性化された消化酵素及び有毒物質が血中や腹腔内に逸脱し、周辺臓器や遠隔重要臓器の障害を引き起こす。また、免疫系や凝固系にも障害が及ぶため、重症感染症や出血傾向を来し、多臓器不全に至ることがある。成人男性、特に四〇歳代から六〇歳代に多発し、死亡率が高い疾病である。

四  急性膵炎の診断基準等

1  《証拠略》及び石井鑑定によると、次の事実が認められる。

厚生省特定疾患難治性膵疾患調査研究班が昭和五七年から昭和六二年にかけて、全国の一般病床数一〇〇以上の病院、消化器疾患を数多く扱つている病院・医院及び大学医療機関を対象として、重症急性膵炎の実態調査を実施したが、その際に作成した急性膵炎臨床診断基準及び急性膵炎重症度判定基準は、次のとおりであつて、各医療施設により若干の差異がみられるものの、右基準は昭和六二年当時において一般的に承認されていたところに基づいて作成されたもので、妥当性を有することが認められる。

(急性膵炎臨床診断基準)

(一) 上腹部に圧痛あるいは腹膜刺激徴候を伴う急性腹痛発作がある。

(二) 血中、尿中あるいは腹水中に膵酵素の上昇がある。

(三) 画像、手術又は剖検で膵に異常がある。

(一)を含む二項目以上を満たし、他の急性腹症を除外したものを急性膵炎とする。

(急性膵炎重症度判定基準--重症)

(一) 全身状態不良で、明らかな循環不全や重要臓器機能不全が認められる(ショック徴候、呼吸困難、乏・無尿(輸液に反応しない。)、精神症状など。)。

(二) 腹膜刺激徴候、麻痺性イレウス徴候、腹水が広汎かつ高度に認められる(腹部単純X線写真で広汎な麻痺性イレウスの所見がみられる。US、CTで膵腫大に加え、浸出液貯溜、膵周辺への炎症の波及がみられる。)。

(三) 臨床検査所見で下記<1>~<8>のうち二項目以上の異常がみられる。

「<1> 白血球≧20000/立法ミリメートル

<2> ヘマトクリット≧50パーセント(輸液前)又は≦30パーセント(輸液後)

<3> BUN≧35ミリグラム/デシリットル又はクレアチニン≧2ミリグラム/デシリットル

<4> FBS≧20ミリグラム/デシリットル

<5> カルシウム≦7.5ミリグラム/デシリットル

<6> Pao2≦60ミリメートル水銀柱

<7> B.E.≦-5mEq/リットル

<8> LDH≧700IU/リットル」

(一)ないし(三)のどれかに該当する異常が認められれば重症とする。

五  急性膵炎の疑診(診断)可能性

そこで、被告が秀司が急性膵炎であると疑診又は診断することが可能であつたか否かについて検討するに、その作業は被告が有していた秀司の前記臨床所見(二2(二))を前記急性膵炎臨床診断基準に当てはめることによつて行うのが相当であると思料される。

1  まず、昭和六二年八月二八日午後三時四〇分ころの診断時に上腹部に圧痛が認められ、玉井病院から送られてきたデータによると、血中のアミラーゼ(膵酵素)値は正常値(一六〇)の三倍を超えていた。

2  そして、石井鑑定及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

臨床所見としての自覚他覚症状及び血液検査結果を総合すると、腹膜刺戟症状を伴う強い上腹部痛及びGOT、GPT、LDH値の高値、高アミラーゼ血症並びに白血球増多によつて、穿孔性消化管潰瘍、急性膵炎及び急性胆嚢炎などが主要な鑑別診断の対象となる。しかし、秀司については、極めて高度の低カルシウム血症(二・一)、高脂血症(中性脂肪三七五〇、コレステロール五七〇)及び高血糖(二五九)が認められるのであつて、これらの症状は、急性膵炎が重症化するときに特徴的に認められる所見であり、急性胆嚢炎及び穿孔性消化管潰瘍において出現することは稀である。また、高アミラーゼ血症は、急性膵炎以外の諸疾患でも認められるが、秀司におけるアミラーゼ検査値は、正常値上限(一六〇)の三倍以上を示している。さらに、秀司のテタニー様の四肢硬直及び過換気症候群も、急性膵炎の重症例で認められる症状と一致している。すなわち、テタニー様の四肢硬直は、呼吸促迫、過換気症候群によつて助長された可能性はあるが、その主因は低カルシウム血症に基づくものである可能性が高い。加えて、秀司の腹部は板状硬の状態を呈しており、四肢硬直、過換気状態及び四肢抹消のワインカラー様変化を認めたことは、急性膵炎の重症化に伴つて出現した症状であることを疑わせるものであり、エコーで血腫か膿瘍を思わせる腹部腫瘤を認めたことは、出血壊死に陥つた膵臓及びその周囲組織が一塊となつた状態の存在を示唆するものと考えられる。秀司の腹部単純写真においては、sentinel loop sign及びcolon cut-off signは認められていないが、これらが認められる頻度は膵炎症例の五〇ないし三〇パーセント以下であつて、これらが認められなくても、急性膵炎の診断を困難にするものではない(もつとも、重症急性膵炎が出血性膵炎を合併することにより、血液生化学的所見に更に特徴的所見が加わる可能性が少なくないため、出血性膵炎の臨床的診断は極めて困難であるとされている。)。

3  以上のような秀司の臨床所見は、前記急性膵炎臨床診断基準の(一)を含む二項目以上を満たし、更に急性膵炎重症度判定基準をも満たしているものと認められるのであつて、一般に重症膵炎の確定診断の困難性が指摘されていることを考慮しても、被告としては、春山病院に搬送されてきた秀司を最初に診察した際に、重症急性膵炎に罹患していることを疑診又は診断することが可能であつたといわざるを得ない。

六  急性膵炎の治療法及び被告の過失

1  急性膵炎の一般的治療法は、石井鑑定によると、次のとおりであると認められる。

急性膵炎は、病理学的には膵の間質性浮腫に始まり、出血性、更に壊死性に至る膵炎の増悪とそれに伴う全身諸臓器の障害に至るもので、トリプシンを中心とする活性化された膵酵素による組織障害、更に循環障害が複雑に関与して病像を形成する。したがつて治療も多岐にわたつて行われる必要がある。すなわち、膵の安静庇護、膵外分泌の抑制を目的として絶食絶飲をし、抗コリン剤の投与、胃内容の吸引、H2受容体拮抗剤の投与を行い、併行して上腹部中心の疼痛に対しペンタジン及び塩酸ペチジンを注射投与する。大量の浸出液の血管外喪失による循環不全及びショックに対し血漿成分を中心とした輸液及び体液電解質の補正を行う。特に血清カルシウム及びカリウムの是正が重要であり、高カロリー輸液を追加して栄養補給し、活性化膵酵素に対する阻害剤(メシル酸カベキサート、メシル酸ナファモスタット、アプロチニン及びウリナスタチンなど)を持続的に投与する。さらに、二次感染の予防及び治療のため広域スペクトラムの抗生物質を投与し、重症化した場合は集中管理により心、肺、胆及び腎などの全身重要臓器障害を治療することに努める。強力な保存的治療を行つても、治療効果が得られなかつたり悪化する場合には、腹腔ドレナージ術等の外科的治療を行う。

2  前記五及び右1の各事実に石井鑑定を併せ考慮すると、被告は、秀司が重症急性膵炎に罹患していることを疑診又は診断したうえ、右1に示されたような内容の保存的治療、更には外科的治療を施すべき注意義務があつたというべきところ、前記二2(二)の事実によれば、被告は、そもそも秀司が重症急性膵炎に罹患していることを疑診することができず、それがため、重症急性膵炎に対して必要とされる保存的治療、更には外科的治療を施さなかつたものということができる。

したがつて、被告には右の点で注意義務違反(過失)があつたといわざるを得ない。

七  被告の過失と死亡との因果関係

前記二の認定事実と《証拠略》及び石井鑑定によると、次の事実が認められる。

急性膵炎が重症化した場合には、多臓器障害、腹腔内感染及び敗血症などを伴い、外科的療法による治療成績も一般的には極めて不良であることから、その予後は不良な場合が少なくない。昭和六三年の全国的規模の実態調査によると、約一二〇〇例の重症性急性膵炎の救命率は約七〇パーセント、死亡率は約三〇パーセントであつた。中等症の急性膵炎の死亡率が約二パーセントであることと比較して、その予後が悪いことは明白であり、救命した場合にも、膵炎が慢性化する率は約八パーセント、糖尿病を発症する率は約三パーセントであつた。

秀司の場合、重症急性膵炎で全身状態が極めて不良であつたから、たとえ急性膵炎の診断が的確になされ、かつ、それに対する治療が適切になされていたとしても、秀司の生命に対する予後(救命率)は予断を許さないものがあつた。しかし、前記のとおり調査結果の救命率はなお約七〇パーセントに上つていることに照らすと、被告の過失と秀司の死亡との間には相当因果関係があるというべきである。したがつて、被告は、不法行為責任に基づいて、秀司の死亡による損害を賠償すべき義務がある。

八  玉井病院と被告の関係

被告は、玉井病院から春山病院へ転院する以前に、玉井病院において急性膵炎を疑診(又は診断)することが可能であり、秀司の急性膵炎は玉井病院において診断し治療すべきであつたにもかかわらず、玉井病院は急性膵炎を全く疑つておらず、その責任は重大であり、被告に過失があるとしても、秀司の死亡に対する起因力は三割とするのが相当である旨主張する。

しかしながら、被告主張のとおり、たとえ玉井病院にも過失があり損害賠償責任があるとしても、前記認定事実に照らすと、玉井病院と被告は民法七一九条に基づく共同不法行為責任を負い、玉井病院と被告の各損害賠償債務は不真正連帯債務として併存すると解されるのであつて、各損害賠償債務が割合的に分割されるものと解すべきではない。したがつて、被告の各主張は理由がない。

九  損害

1  秀司の遺失利益

秀司(昭和三〇年四月八日生の男性)は、本件で死亡した昭和六二年八月当時三二歳で、弁論の全趣旨によれば独身であつたと認められるから、その逸失利益(死亡時における現価)は、原告ら主張の昭和六一年の賃金センサス第一巻第一表による産業計、企業規模計、学歴計の男子労働者全年齢平均の年収額四三四万七六〇〇円を基礎として、生活費五〇パーセントを控除し、これに三二歳から六七歳までの就労可能年数三五年に相当するライプニッツ係数一六・三七四一を乗じる方法で中間利息(年五分の割合)を控除することによつて、次のとおり三五五九万四〇一八円と算出される。

四三四万七六〇〇円×〇・五×一六・三七四一=三五五九万四〇一八円

2  秀司の慰謝料

本件における一切の事情を勘案すると、秀司の慰謝料としては一二〇〇万円と認めるのが相当である。

3  原告らの相続

原告らは秀司の父母であり、弁論の全趣旨によると、秀司の相続人は原告らだけであると認められるから、原告らは、右1、2の合計四七五九万四〇一八円の損害賠償請求権を二分の一(二三七九万七〇〇九円)ずつ相続したといえる。

4  原告らの慰謝料

本件における一切の事情を勘案すると、原告らの慰謝料としては各一五〇万円と認めるのが相当である。

5  葬儀費用

弁論の全趣旨によると、原告らは、秀司の葬儀費用として少なくとも各五〇万円を支出したものと認められ、右各五〇万円は本件不法行為と相当因果関係ある損害といえる。

6  弁護士費用

原告らが原告ら訴訟代理人弁護士に本件訴訟の提起、追行を委任したことは本件記録上明らかであるところ、本件事案の性質、審理の経過及び認容額等に鑑みると、被告の本件不法行為と相当因果関係ある原告らの弁護士費用損害金は各二五〇万円と認めるのが相当である。

十  結論

以上によれば、原告らの被告に対する請求は、それぞれ二八二九万七〇〇九円及び内金二五七九万七〇〇九円に対する不法行為の日である昭和六二年八月二九日から、内金二五〇万円に対する本判決言渡しの日の翌日である平成五年六月一五日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右限度で認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大藤 敏 裁判官 貝阿弥 誠)

裁判官原克也は転補のため署名捺印することができない。

(裁判長裁判官 大藤 敏)

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